2009年6月29日月曜日

混濁の末の穏やかな清澄


 タオ(道)の修道者。それは、さわやかな、「老子」第15章が語る人物。意訳を交えて、その印象は次のようになる。

 『穏やかで、静かな人がいる。にこやかにこちらの話を聞いている。飾りのないその言葉はは真を貫いている。清冽な決断。その発想法は混濁の末に得たものだろうか。濁った水がやがて澄んでくるように。そして、誰もがその人を慕う。ネットワークは氷が解ける滑らかさで拡がる。油断なく、いつの間にか動いて、何か新しいものを生み出している』

 具体的に幾人かの顔が想い浮かぶ。教えをいただいた恩師、先輩、上司…。読者諸賢はいかがだろうか。



◇清・濁
 きよらかなことと、にごれること。 『老子』第15章より。

◇書
 草書で簡潔に。濃淡をまじえた。

2009年6月26日金曜日

法則なし「遊んでいやがる!」

       瓦当(ガトウ)作品「永く、久しく、楽しき哉、家」


 漢代の作例に「永く、久しく、楽しき哉、家」を模してみる。2000年もの昔、楽しい瓦に囲まれた家を夢想する。と同時に、その文字の配置、デザインの妙に驚嘆してしまう。

 90度の扇形。その中での文字の変化を分類してみたことがある。正体、湾曲、回転。同心円で外向き、内向き。それらの複合されたもの…。一定の法則がない。千変万化、分類不能か…。

 ふと気付く、「コイツら、遊んでいやがる!」。
 
 作例の「永」はクラゲのように漂う。「久」はガニ股で酔っぱらう。「楽」はあくびをし「哉」は深呼吸。「家」が中心で笑っている。

 水が方円の器に遵うが如く、限られた空間にあっても創意と工夫でもっと自由に、などと教訓めいたことは言うまい。

 太古の名も無き陶工、瓦職人。融通無碍(ゆうづうむげ)ともいえるその熟達、自在な文字の遊びに見惚れることにしよう。




◇永く、久しく、楽しき哉、家
 ずっとしあわせな家でありますように。

◇瓦当
 屋根の軒先に葺く丸瓦。その先端の円内の文字が「瓦当文」。

◇書
 漢代瓦当文の模刻。石膏板に刻字し拓本に採った(原刻は”長久”としているが”永”を書いた)。

◇印
 「融通無碍」の「無碍」さわりのないこと。臨機応変、自在の境地。ガリガリとした感じで白文陰刻に。